き し う き ち
岸 宇吉 (1839~1910)
「ふるさと長岡の人々」 編集発行 長岡市
(平成10年3月31日発行)より抜粋
山本平蔵の四男として新潟に生まれ、岸家(当家)から分家をした長岡の表町一の町の呉服商、岸屋の養子となった。
ときに12歳。
翌年、養母の勧めで小林虎三郎の教えを受ける。
16歳で、長岡初めての唐物商を転業し、家運をたて直した。

妻セキは、岸家(当家)より嫁いだ。
戊辰戦争に敗れ、町を焼かれ、士族、町民の暮らしは苦しかったが、なんとか皆の気持ちを明るくし、希望をもってもらおうと、「ランプ会」を立ち上げた。岸家には、「西洋行灯(せいようあんどん)」といわれたこのランプがあった。
このランプの灯りの下で、小林虎三郎、三島億二郎、大島佐平、梛野 直らとともに長岡の復興について夜を徹して話し合った。

そして、困窮のどん底にあえぐ長岡を救うには殖産興業こそ急務と考え、その発展に尽くし、北越銀行の前身、六十九銀行の創立に努め、永年支配人として活躍、外に長岡商工会、石油会社、製糸工場、北越鉄道会社の設立に尽力し、明治期の長岡産業経済界の先駆者として評価されている。
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